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第56回

第56回

 いよいよ10月です。思えばCOVID-19対応も半年間続いていることになります。当事務所も大半の活動をオンラインに移しましたが、社会の幅広い範囲でインパクトは広がっています。

 私は長崎出身ですが、長崎の人間(ながさきンもん、と発音する)にとって一年で最も大事な『長崎くんち(毎年1079日に開催)』が、今年は中止になりました。皆さんも『龍踊り』、『コッコデショ』、『鯨の潮吹き』等といった出し物をTV等でご覧になられたことがあると思います。戦後すぐの昭和20年の秋にも(しかも原爆投下の2か月後に!)開催されたお祭りが中止とは。故郷の友人たちも残念がっているに違いない。 

 長崎に住んでいた子供時代には分からなかったのですが、この祭り、国内でも有名な筈ですが、実はかなり特殊です。というのも、日本の秋祭りというものは大体、農作物が豊かに実ったことに感謝する性格のものだと思いますが、長崎くんちはそういう色彩は希薄です。長崎伝統芸能振興会のHPhttp://nagasaki-kunchi.com)を見ると、「寛永11年(1634年)、旧暦の97日に遊女高尾・音羽の両人が神前に謡曲『小舞』を奉納した」のが起源とされています。また江戸時代、長崎は幕府の天領だった訳ですが、wikipedia によれば、長崎奉行であった神尾備前守、榊原飛騨守の援助もあって始まったこの祭りは、くんちを長崎市民の神事と認定し、その神事の奨励の背景にはキリシタン宗門一掃の狙いがあったともされています。

 それはともかく、私が小学生時代には、くんちの初日(7日:「お下り」と称する)と最終日(9日:「お上り」)は学校は休みでした。途中から半ドンになりましたが・・・(今は全くそういうことはないらしい・・・)。そもそもくんちの踊り町になっている町の子の中には、61日(「小屋入り」と称する稽古始め)から午後は踊りや曳物(上記のコッコデショとか川船とか竜宮船とか)の上に乗って練習しなければならないから、週に何回かは早退することが公然と認められていました。私も、何度か授業のノートを彼らに届けた記憶があります(二人分書いてたのかなあ?)。

 長崎では、くんちの「世話役」を任ぜられることが最高の名誉で、まあ大体自営業の羽振りのいいウチでないとやれない(ほぼ半年、旦那衆は仕事をほっぽり出してくんちの準備に勤しむので)のですが、数年前、私の中学時代の同級生が「ようやく町内の長老から、山高帽を被ってよい、という許しが出た」と嬉々として話していました(世話役のドレスコードは、羽織袴に山高帽です)。また、江戸時代には度々「町民の踊りの衣装には木綿を用いる等、質素にせよ」というようなお触れも出ています。天保13年(1842年)には「風俗を乱す舞踏を禁じ」(これは、天保の改革の流れですね)たり、慶応元年(1865年)には「諏訪神事踊りで舞妓を裸体にすることを禁止し」たりしています。トンデモないですね。

 第51回の「ひとりごと」でも書きましたが、長崎は江戸時代、唯一オランダとの貿易を行っていた場所であったにも拘わらず、生粋の長崎人は「くんち」に熱中するばかり(?)で、近代国家日本の建設そのものをリードした大物は出ていません。これは、表現は悪いが、江戸幕府の一種の「愚民化政策」が奏功したということでは? それでも、長崎人は他に例を見ない文化的豊かさを享受できたという意味では、後世に残したものは大きいと言えます。