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第50回

第50回

 いやあ、毎日暑いですね。今の日本は、多分、バンコクやシンガポールより暑いのではないでしょうかね。今日は「真夏のスポーツ」野球の話を書くことにします。

 先日、甲子園球場での高校球児による交流試合が終わりました。と言って、何一つ観ていない私ですが、日本人は野球が大好きですね。明治時代に「野球」という訳語を作ったのは正岡子規だと言われますが、確かに Basketball =「籠球」、Soccer =「蹴球」なのに、なぜ Baseball =「塁球」ではないのだろうか?(ちなみに中国語では「棒球」ですね。)子供時代に大変不思議に思ったものです。原語と訳語の微妙な違いからも、誰しも「アメリカの Baseball」と「日本の野球」は結構違うぞ、と感じている筈だと思います。そう言えば、昔、「地球の裏側にもう一つのベースボールがあった」と言って本国に帰っちゃった元・大リーガーの助っ人がいたなあ。ヤクルトのボブ・ホーナーだったかな? 

 私は運動神経が鈍く、数年前に白内障の手術をして左右の視力がアンバランスになってしまったので、今、野球はできません。子供とのキャッチボールにも手加減される始末です。それでも、野球(特に昭和のプロ野球、それもパ・リーグの)について語るのは好きだし、ビジネス書って一冊も買ったことがないけれど、尊敬する野村克也監督の本は結構持っています。野球には確かに「身体能力以外の能力」が求められることが多いように思うし、ということは、野球のルールというものがそもそも「身体能力以外の能力」が活用しやすいようにできている、ということに違いない。

 ちょっと思いつくだけでも、「犠打」「犠飛」「盗塁」「振り逃げ」「隠し玉」「敬遠」・・・。ルールではなく、戦術や技術に目を向けても、「ゲッツー狙いの中間守備」「王シフト」「ヒットエンドラン」「牽制球」「右狙いのミート打法」果ては「ブラッシングボール」なんてのも・・・。こうして見てみると、野球のルールや戦術は物凄く複雑だし、とても「政治的」です。相撲やサッカーにはこういうのは無いよなあ。

 一方で、その「政治的」で緻密なルールに思いもかけない風穴を開けてドラマが生まれることもある。代表例が「敬遠のクソボールを打ってサヨナラ打」というようなものですね。クソボールを打つのは一般的には感心されないが、一打逆転のシビレる場面ではそれが勝利を演出することもある(打って凡打ならアホ呼ばわりですが・・・)。そういうことを何万人のお客さんの前でいきなりやって見せる(魅せる)のがプロ、な訳ですね。

 ところで、最近は、公式試合には出られないが、高校の野球部に女子部員が所属しているケースも増えてきているようですね。振り返ってみれば、私の小学生時代には、(公式競技としての)女子柔道も女子サッカーも無かった訳です。硬式野球の場合、確かに150/時の硬球(打球だと180/時にもなるか)が頭部に当たったりすると物凄く危険で、私など、バッティングセンターの100 km/時の球にも腰が引けてしまいますが、その危険性は男女の別に無関係では? 甲子園で、女子エースがマウンドに立つ姿を見てみたい気もしますね。(漫画では、40年以上前に『野球狂の詩』の水原勇気、という前例がありますが・・・。)