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第48回

第48回

 ようやく長梅雨が明け、暑い夏がやってきました。今年は、小中高校の夏休みも短縮され、また、国内移動も新型コロナ感染防止対策で自粛をせざるを得ない等、通常の年とは様相が異なりますが、いずれにせよ、健康に気を使いながら過ごしたいものです。

 さて、先日、当事務所で数ヵ月間インターンをしていたB君から「日本での次のインターン先が決まった」という嬉しい報せがありました。彼は、御父上がナイジェリア出身、御母上がコンゴ民主共和国出身で、ベルギーに住み、日本が大好きという大学院生です。彼は、まだ寒い今年初めに来日し、その後オンライン中心という当方も初体験の時期を経て外資系企業の日本法人で次のインターンシップを得ることができた訳です。

 彼は、勿論のこと英語・仏語に堪能で、当事務所の英文パンフレットの仏語訳(在京のフランス語圏の大使館筋からかねてから要望のあったもの)を一気に進めるとともに、各種イベントに際しても、他のインターン生と協力して実に良い仕事をしてくれました。日本がとても好きな若者で、人柄も温厚。リアルで出勤していた時は、私の部屋で「四字熟語」の勉強(私はこれを英訳するという訓練)をする等、得難いキャラクターでした。

 当事務所は日本国内の中小企業の方々とのコンタクトも多いため、日本人インターン生が殆どではありますが、当方に来ていただけるインターン生の皆さんは、国籍・性別を問わず実に優秀で積極的、かつ人柄も円満で、加えて面白みも十分、という若者ばかりです。勿論、これまでのビジネス経験で、国が異なればビジネスカルチャーも思考体系もかなり異なることは経験していますが、国際機関勤務経験わずか3年の私にとっても、実は意外と共通する要素、共感できる局面が多い、という感じます。 

 私は、様々な講演をする際(特にイノベーション推進のコンテクスト)で強調するのが、「日本人は寧ろ、優れた外国籍の人と一緒に仕事をするのが得意な国民ではないか?」という仮説です。例に挙げるのが、「昭和プロレス勃興期の力道山のプロレスは善玉日本人vs悪玉外国人という図式であったが、1960年代末には、早くも国際プロレスが英国出身の技巧派『人間風車』ビル・ロビンソンを団体エースに仕立て、70年代半ばには、全日本プロレスの黄金カードは『呪術師』アブドーラ・ザ・ブッチャー+『アラビアの怪人』ザ・シークvs『テキサス・ブロンコ』ザ・ファンクスであり、猪木中心のマッチメークであった新日本プロレスでも70年代末から80年代前半には『不沈艦』スタン・ハンセン、『大巨人』アンドレ・ザ・ジャイアントが観客動員の主力であった」ことです。これはプロレスに限りません。大相撲やプロ野球、サッカーJリーグにおける外国籍の力士や選手の活躍ぶりとそれに対するファンの喝采に如実にそれが表れていると思うのですが・・・。

 50代後半以上のオジサン達は、かつて正統派レスラーとして将来を嘱望されていた上田馬之助が髪の毛を金髪に染め、『まだら狼』として竹刀を手に悪逆ファイトを展開するようになったのを覚えているでしょう。当時は「日本人(クリーンファイト)であることを捨てた」ことを象徴的に訴求するのが金髪だと思いましたが、時代は大きく変わりました。日本の組織でも外国人スタッフと普通に仕事できるようになる日は近いと期待したいものです。