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第40回

第40回

 緊急事態宣言が解除され、徐々にオフィスや街に人が戻りつつあります。皆様はいかがお過ごしでしょうか? 私は、4月中はほぼ自宅でテレワークをしていたものの、家庭内のIT環境の問題や、家族とのPC占有争奪戦に敗れ、GW以降はほぼ毎日職場にクルマで出勤しておりました。

 サラリーマン生活35年、車で通勤するのは、米国に2年間留学していた頃以来です。運転中はFMラジオをつけっぱなしにして聴いている訳ですが、何となく聞き流している間にも気になる日本語の表現というものは出てきます。

 その一つが「元気を貰う」という表現。言わんとするところは、まあ分からんでもない。こういう wording は、既にここ10年ほど色々な所で耳にしてきたものです。が、私は言いたい。「元気は、他人様から貰うモンじゃねえ! 自分の中から湧き出るモンじゃい!」。まあ、勿論、他人様の言葉や行動が自分を励ましてくれたり、刺激を与えてくれたりすることは良くあります。でも、何か違うんだなあ。「貰う」というのとは。私としては、あくまでも自分の中にある燃料+燃焼装置が、何等かの外部刺激によって「点火」される、あるいはそれに対して「助燃剤を注入」される、ことこそが「元気が出る」ということである、と思っているんですがねえ。(こういう発想は、家庭内では「それはアンタの“俺様”な考えです。世の中の人はそんなこと考えない」と言って忌み嫌われますが・・・。)

 もう一つが「ほっこりする」という表現。これもこの10年間くらいで一般化した表現だと思います。これも言わんとするところは分かる。大体において「何等かの心温まる光景や言動に(多くの場合、第三者として)触れ、直接の当事者ではない自分も心の中で温かさを感じる」という状態を示す言葉だと思うのですが、何となく、「おい、それだけか! その一言で済ますのか!」と感じてしまうことが多い。まあ、これも私の勝手な感性によるものだからおそらく共有されないのでしょうが・・・。

 しかし、少し冷静になってみると、日本語には擬態語というものが凄く多い。「ほっこり」という言葉も、その中にあって、おそらく「ふっくら」「ほっかほか」「ぽかぽか」等の既存の擬態語では表現できない感覚・感情を適切に表したものとして評価され、次第に一般化してきたものなのでしょう。

 そう考えると、言語というものは面白い。昔、私が中学生だった頃には “I love you.” はあっても “I’m loving you.” という表現は使わない、と言われていたが、もう20年以上前から世界的大手のハンバーガーチェーンは “I’m loving it.” という言葉を使っているではないですか! まあ、「言葉は生きている」というのはそういうことなのでしょう。コロナ禍では「巣籠り需要」という言葉も生まれたし、IT先進国だった筈の日本で、意外とテレワークに対応できない教育機関や職場、あるいは私達自身、というのも明らかになった訳です。そう言う意味でも、今後の社会の姿というものはいよいよ予測不可能だなあ、という思いを抱く毎日です。