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第35回

第35回

 さて、コロナウィルスのせいで、本来の仕事が止まっています。せっかくなので、日頃多忙を理由になかなかできない仕事をすることにしています。オフィスのスタッフの約半数はテレワーク中です。先々週までは「毎晩、胃腸をアルコール消毒しよりますけん、ワシは何ともなかとです!」と昭和のオヤジ流(というか、これでは左門豊作か?)で過ごしていましたが、さすがに最近はこれではシャレになりません。

 出勤もオフピーク通勤で悠然と座ってこれますので、本を読む時間もあります。珍しく、ネット通販で『百人一首』の解説本を入手し、パラパラと眺めています。高校時代、古文と漢文の時間はほぼ寝ていたせいもあり、平均点を上回った記憶がありません。百人一首といって、空で覚えていたのは、柄にもなく「忍ぶれど色に出にけり我が恋は ものや思ふと人の問ふまで」だけでした。これ、平兼盛という人が詠んだのだとか。解説本には、「光孝天皇の玄孫。臣籍に下って平氏を名乗ったが、官位はあまり上がらなかった」とか余計なことまで書いてあります。そりゃそうだろう。大の男が真っ昼間から「ものや思ふと人の問ふまで」ボケーっとしていたら、仕事などできる筈がありません。出世する訳がないよなあ。そんなこと書かないのが、武士の情けというものでは? でも、出世しなくても、百人一首に和歌を残せただけで私なら十分だと思うけどなあ。

 空では覚えていなかったけれども、古文劣等生の私でも、少し見ると思い出せるものも結構あります。「春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山」とか、「田子の浦に打出でてみれば白妙の ふじの高嶺に雪は降りつつ」、「奥山に紅葉ふみ分けなく鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき」といったものです。若い頃はあまり意識できていなかったけれど、ああ、日本語というものは豊かな言葉だな~と改めて感じる瞬間でもあります。

 日本語と言えば、日頃感じるのが「比喩表現の豊かさ」であります。単に英語力がないせいかも知れませんが、仕事の中で、「屋上屋を重ねる」とか、「のれんに腕押し」というニュアンスを表現したい時は何度もありますが、英語で何と言うのかが良く分からない。しょうがないので、「屋上屋を重ねる」は “redundant” と言うしかないし、「のれんに腕押し」は、”He(She) does not respond to my proposal.” とか言うしかない。が、心の中では「そうじゃないんだよなあ」と思っています。ウィーンの本部の会議で、まあ、non-native English speaker が大部分だから試しに言ってみようと思い、”It is almost like a ceiling on a roof.” とか、”It is almost like pushing a curtain with your arm.” とか言ってみたのですが、皆「?」という表情(出席者の国籍は、イタリア、ドイツ、ロシア、中国、バーレーン、韓国、ボリビア等)でした。完全に不発。大昔、英検の問題集で「御神輿」を portable shrine と訳してあって凄い違和感を覚えたのを思い出します。う~ん、やはり異文化コミュ二ケーションは難しい。