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第28回

第28回

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

 正月くらい、真面目にモノを考えようと思いましたが、凡人の悲しさ、突然考えようにも難しいものがあります。ただ、私が昨年ずっと考えていたのは「世界が大変だ、という危機意識を持っている人は増えている。が、ではどうすればいいか、という解(solution)を総合的に、かつ現実性を踏まえて提案している人はあまりに少ない」ということです。

 日本を見ても、「地球温暖化が大変な状況になってきている。現実的で効果的な対策というものを一体、誰が考えているのか?」、「デジタルエコノミーの潮流の中で本当に日本は生き残れるのか?」、「これまで日本の最大の強みであった筈の“科学技術“や”初等・中等教育“はもう相当危ないんじゃないか?」、「日本の高齢化・少子化は全然改善する気配がないが、ということは、今後30年間に亘って日本は確実に衰退に向かうのではないか?」等といった疑問は誰しもが持っていることでしょう。

 私が大学生になった1980年は、一言で言って「良い時代」でした。学生運動の嵐はとうに去り、大学生は楽しくてたまらない、夢のようなモーレツな高度成長期は過ぎたとは言え、日本経済は世界市場でどんどん伸びており、寧ろ「そのうち世界一になるよ」というお気楽な評論さえ溢れる状況。なんだかんだ言って大学生が「能天気」に暮らすことを世の中が認めてくれている(少なくとも、「就職したら、真面目に働けばいいさ」という調子で、モラトリアム期間だと認識されていた)、という浮かれた時代だった訳です。

 就職したら、それこそ残業は毎月120時間。19951997年の日米半導体協議の担当時代は、最後の半年間土日も全部出勤していたし、19971998年のアジア経済危機の頃には、毎月残業220時間が7ヶ月続きましたが、カラダが無闇矢鱈に丈夫なせいか、とりあえず生きていました。私は学生時代に運動もしておらず、自分自身でこんなにカラダが頑健だということに気づいてさえいませんでした。丈夫に生んでくれた両親に感謝です。

 自分自身の経験から社会の状況を推測するのは愚の骨頂ではありますが、やはり社会における「若者」のバイタリティというものは見逃せない要素です。そして、当然ながら趨勢的にはそのバイタリティの「総和」は人口規模に比例します。私自身もまだまだ「気は若い」つもりですが、本当の若者とは比べるべくもありません。大人は「問題に気づく」ことはできるし、「(専門家の知見を総合すれば)問題の根源がどこにあるか」も分析できます。しかしながら、「本当に難しい問題に対する解にチャレンジすること」は簡単ではありません。若者より確実に早く死んでしまうし、色々なしがらみやリスクに絡めとられるからです。これは個人のみならず、企業や政府機関にも該当することのように思えます。

 実は、最近、「俺、58年間何してきたんだっけ?」と考えることも多くなりました。自分が何をしてきたか若者に自信を持って語れない(「俺はこの程度だ!」という開き直りはできますが・・・)のに、一方的に若者をエンカレッジするのも卑怯です。もう少しは頑張ってみようとガラにも無く思ったのでした。