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第136回

第136回

 皆さん、ゴールデンウィークはどうお過ごしでしたか? TVでは、依然として収束を見せないロシアのウクライナ侵攻、知床観光船の沈没事故と運航会社の杜撰な安全対策、山梨・道志村で発見された人骨と3年前にキャンプ場で行方不明になった小学生の女の子の消息等等、・・・と気が滅入る報道ばかりをやっていましたね。どうも明るい話題がない。

 私は、カレンダー通り(+α)の出勤の他は、妻とあしかがフラワーパークというところで藤の花を見たくらいで、あとはほぼ自宅でダラダラしていました。まあ、本でも読むか、ということで紐解いたのが数年前に買ったままになっていたハーバード大学のマイケル・サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』です。

 

 既にお読みになった方も多いと思うのですが、私としては特に第7章の大学入学を巡る「アファーマティブ・アクションをめぐる論争」について非常に考えさせられるものがありました。ご存じのとおり、特に米国の大学では、人種的にマイノリティにある立場の学生を一定比率確保する観点から、学業成績に対する評価基準もそれぞれ別個に設定されている場合があります。

 

 これに対しては勿論様々な意見がありますが、サンデル教授によれば、こうした措置を正当化する根拠となるのは、一つは「補償論」。すなわち「過去の過失の賠償」と見なすという考え方で「マイノリティの学生を優遇することで、彼らを不利な立場に追いやってきた差別の歴史を埋め合わせよう」ということです。もう一つの考え方が「多様性」を根拠とするもので、入学選考で優遇されるマイノリティの学生が、実際に差別されたり不利な扱いを受けたりしているかどうかには注目せず、「学内に様々な人種の学生がいることが知的・文化的視野を広げるのに役に立ち、社会全体の共通利益となる」という考えです。

 

 どちらも一理あるものと考えますし、特に米国で暮らしたことのある方にとっては「過去の過失」や「人種の多様性」が何を意味するのかは、よくお分かりだと思います。ただ、日本ではまた少し事情が違いますね。55日の日経新聞1面に『教育岩盤 揺らぐ人材立国 難関突破 親の経済力次第 「合格歴競争」格差を再生産』という記事が掲載されていました。これ、もう30年以上前から言われていますが、この記事中にも「東大合格者は私立中高一貫校の卒業生が多数を占め、学生の54%は年収950万円超の家庭出身だ」等と指摘されています。

 

 私は、今や(昔も)東大卒業生が必ずしも社会の中での成功者という訳でもなかろうとも思いますが、しかしながら、これはおそらく英国的な「階層」社会の誕生とその固定化という現象に他ならず、長期的視点で見て日本にとって良いことでは無い、というのも間違いのないところだと思います。とは言え、大学の使命は「先端知を作り出し、社会に還元すること」と「有為な人材を送り出すこと」ですから、家庭の収入別に学業成績基準を切り分けたアファーマティブ・アクションを設定すればよい、というような単純な話でもないでしょう。まずは返済不要の奨学金や学費免除といった制度を徹底的に拡充して、大学という「学びの場」の門戸解放を更に進めることではないかと思った次第です。(もう一つ、ジェンダーと高等教育の関係については、また別の機会に触れたいと思います。)

 

バックナンバーはこちらから http://www.unido.or.jp/publications/shocho/