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第122回

第122回

 日曜日に、昨年秋に急逝された博士課程時代の恩師への『感謝する会』に参加してきました。恩師・松島克守先生は享年76歳。終戦の1ヵ月前に生まれ、東大工学部精密機械工学科に学び、東大助手、ベルリン工科大研究員、日本IBMでのCAD/CAM/CAE等のマーケティング、更にはプライスウォーターハウスクーパーズの日本法人での役員を経て東大の教授になられたという多彩でダイナミックな経歴をお持ちです。

 私は、2001年秋に社会人大学院生としてこの松島研究室の一員となり、博士論文を書くのに5年間を費やしましたが、その間、タマにしか顔を出さない私にも厳しく、特に当方の論理の弱点を瞬時に見破り、鋭い指摘を下さりながらも温かい指導をいただきました。

 社会人として大学院に在籍して博士論文を書くのは、やはり大変です。私もこの10数年、北陸先端科学技術大学院大学というところで主として社会人の学生を対象として「オープンイノベーション論」なるものを教えていますが、平日の夕方の講義、また、土曜日には朝から夕方までのプレゼンと討議等とやっていますと、学生さんは大変だろうなと感じます。社会人たるもの当然ですが、大学院に行くからといって職場は仕事の手加減をしてくれる訳ではありませんし、やはり相当の体力・気力・知力がなければ続きません。

 博士論文というものは、やはりアタマの先から爪先まで論理が透徹していないといけないし、論理を形成するエビデンスもしっかりしていないといけない。また、先行研究や事例の調査も綿密に行わなければならないということで、先生には個々のトピックの内容もさることながら、博論の「目次」について物凄く時間をかけて議論させていただきました。

 「目次」が論理的かつスンナリ読めるような作りなら、それは良い論文となる最大の必要条件の一つでしょう。しかし、「中身」の新しさ(やや極端ですが、世界で誰もやっていないことを書かなければならない)と、それが世の中で有用であること(少なくともそう考えてくれる人が一定数居ること)は、更に大事です。先生は、年にせいぜい数回しか研究室に顔を出さない私に「大きくいこうよ、大きく」と発破をかけて下さいました。私も、先生に相談すると目の前の霧がパ~っと晴れたような気がして意気揚々と帰宅しましたが、ノートを広げると実は何も解決していないことにハッと気づきます。結局、「中身」については自分で分析方法を考え、自分なりの表現手法を開発しないと前に進まないことに気づかされた5年間でした。脳味噌から脂汗が出る思いをしました。この間、家庭やら子育てを犠牲にしたかもしれない。迷惑をかけた妻子には大変申し訳なかったと思います。

 ところで、今回の「感謝する会」に参加してみて、先生の人脈の凄さに改めて驚きました。オンラインでの参加も含めれば、東大総長経験者が3人。第25代総長の吉川弘之先生は助手時代に松島先生を指導され、第28代総長の小宮山宏先生は『動け!日本』や『知の構造化』プロジェクトを一緒に手掛けられ、現総長の藤井輝夫先生とは東大に総合研究機構を創設されるお仕事をご一緒されたとか。DMM森精機の森雅彦社長、日本IBMの北城恪太郎名誉相談役といった企業トップは勿論、博士課程の学生OB/OG代表がオリパラ東京大会を内閣官房参与として進められた平田竹男早大教授、という錚々たるメンバーです。まあ、これでも私は研究室OB/OGの中でもまだ「若手」の部類です。もう少し頑張らねば、と感じた一日でした。