このページをシェアする

第102回

第102回

 経験したことのない8月の長雨(あれは1ヵ月以上早い秋雨前線の到来だったのか?)も過ぎ、残暑が戻ってきました。職場の夏休み期間もそろそろ終わり、仕事モードに戻ってきた、という方も多いでしょう。

 仕事モードには戻っても、デルタ株の蔓延により、生活は通常モード(というか、コロナ以前)には戻りません。昨年来、よく話題になる「日本人にはファクターX”があって、コロナに感染しにくく、かつ、感染しても重症化しにくい」というのも、どうやらデルタ株に関しては当てはまらないような感じもします。今年後半も相当に制約的な生活を送らざるを得ないと思われます。

 818日の日経新聞朝刊に「民主主義の未来(上) 優位性後退、崩壊の瀬戸際に」という記事が掲載されていました。エール大学助教授の成田悠輔という人が書いたものですが、要するに「民主主義国ほど、経済成長は停滞し、コロナ対策もうまくいかない」という内容です。掲載されているグラフを見ると、まあ「民主主義指数」と「平均経済成長率」や「100万人あたりのコロナ死者数」の相関が、パッと見、それほど強いものとは思えず、個人的にはちょっと強引過ぎるのではないかという疑問を抱いているのですが、それでもそういう事例が一定数見られるのも事実のように思います。

 私はある私大で学部学生に環境と経済の関係を教えていますが、その中で取り上げる事例の一つに「アラル海が干上がった話」があります。旧ソ連時代、この地域(主として現在のウズベキスタン)の最大の外貨獲得源は綿花でした。この一帯は相対的に降水量が少なく、外貨獲得増大を狙ったモスクワのソ連邦政府首脳は、灌漑を進めるために、アラル海に注ぐアムダリア川とシルダリア川の流れを変えて大綿花栽培を実現します。ただし、この一帯では「両川から流れ込む水量=アラル海からの蒸発量」であったために、両川の水が流れ込まなくなるとアラル海は急速に干上がり、漁業は壊滅し、砂漠に漁船が取り残されて残骸となり、風で巻き上がる塩分を含む砂で住民の健康被害が起きる、という結果を招きました。

 これは当然、政府による「気象学に関する無知(あるいは無視)」が引き起こした問題ですが、同時に、この政策が東西冷戦下での対西側陣営に対する「如何に社会主義陣営が優れた経済運営・自然改造を行っているか」のデモンストレーションでもあったことが大きく影響した筈です。事実、アラル海が干上がるまで、この大灌漑事業に対する評価は、農業土木関係者の間でも高かったと聞いたことがあります。また、当然「一党独裁のために、地元の民衆の声が黙殺されてしまった」という民主主義の問題でもあります。

 日経新聞の819日朝刊には、同様に「民主主義の未来(中) 『権威主義の優位』前提疑え」と題して、東北大学准教授の東島雅昌氏が、権威主義国の優位がコロナ禍で強調される中で、そこにある論理の「飛躍」を指摘しています。私の仕事の身近なところで言えば、ミャンマーでも、アフガニスタンでも、国民の選択とは無縁の形で、民主主義は危機に陥っているように見えます。が、チャーチルがかつて言った “It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.” という言葉の意味は今でも十分に通用すると思っています。21世紀にふさわしい「民主主義のコストの負担」の仕方を議論するのが大事なのかもしれません。