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第101回

第101回

 8月中旬ともなると仕事はお盆休みで一段落ですが、この時期に毎年苦闘させられるのが、学生のレポートの採点です。

 特に、某私大で教えている学部学生向けの科目は、毎年履修学生が50名以上いますし、何といっても外国人留学生がいるので講義もレポートも全て英語。2年前までは、グループワーク+プレゼンテーションを学期中に2回やり、レポートは期末だけとしていたのですが、去年からコロナ禍でオンライン授業となったので、中間2回+期末1回の合計3回のレポート提出とせざるを得ず、採点とコメント返し(最近の大学はレポートもオンラインで出せる代わりに、コメントを付けねばならず、過酷の一語)で死にそうです。

 まあ、文句を言う筋合いのものではなく、引き受けたものはやらなければなりませんが、このレポート採点でつくづく痛感するのが、日本人学生の「レポートの書き方の未熟さ」です。必ず「レポートの書き方」の授業も1回やることにしているのですが、まず「表紙の書き方と標題の選び方」から始まり、「なぜその課題について書くことにしたのか」「事実関係をどう調べ(fact finding)、どう正確に記載するか」「参考図表はどう入れるか」「分析を加える際には、どういう切り口で見ていくことが自分の問題意識に最も合致するか」「結論をどう書くか」「参考文献リストはどう書くか」といったことをかなり丁寧に教えねばなりません。確かに、日本の教育システムの中では、高校生まではこういうレポートを書いた経験は無い筈ですので最初は大変だろうと思うのですが、留学生は、1年生でもかなりきちんと書いてきます。敢えて批判的に申し上げれば、日本では、高校生になっても、能動的に問題意識を持ち、調べ上げ、自分なりの視点に立って評価する、という学習プロセスを経験させていないのだろうと思います。

 ちなみに私が教えているのは Urban and Regional Environmental Management という科目で、海洋プラスチック問題、地球温暖化とエネルギー環境問題、産業発展史と公害問題、経済開発と持続可能性、3Rと循環型経済等を題材としているのですが、当然、高校までの科目区分で言えば、政治・経済、地理、日本史、世界史、化学、物理、生物等に亘る広範なトピックについて、「分野の壁を越えて」言及する必要があります。

 例えば水俣病について言及する際には、当時の日本の経済状況、当時チッソが製造していたアセトアルデヒドという物質の化学産業の中での位置付け、産業振興政策と環境保全政策の関係、なぜ無機水銀を使っていたプロセスからメチル水銀という有機水銀化合物が生成されたのか、海洋生物の中でメチル水銀はどう濃縮されたのか、どのようにしてメチル水銀は人間の体内で中枢神経を侵すのか、当時の水質規制ではなぜ対応できなかったのか、行政や国会はこの問題をどう見ていたのか、原因が解明された後の被害者救済はどう行われたのか、水俣以外では同様の問題は起きなかったのか、水銀条約(通称ミナマタ条約)は何を目的としたものか、今後こういう問題は世界で起きないのか、等といったことに触れなければなりません。まあ、大学入試プロセスの改革も結構ですが、若者に幅広く、かつ鋭い視点を持たせるような本質的な教育システムの充実がなければ、日本の20年後は相当危ないと感じます。