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第89回

第89回

 今週は「経済活動における公正さ」とは何だろう、という真面目な話題です。

 実は、先週、UNIDO東京事務所としては初の試みとして「女性のエンパワーメントとSDG Goal 9『産業と技術革新の基盤を作ろう』」というオンラインセミナーを開催しました。ジェンダー平等については、この「ひとりごと(第78回)」でも書いた通り、「日本も少なくとも男女雇用機会均等法の施行から35年、少なくとも社会の課題として認識し動いてきたが、世界はもっと早く動いているから遅れてしまった」ということだと思います(”Global Gender Gap Report 2020” によれば、日本は世界で121位)。

『原始、女性は太陽であった』というのは、女性解放運動の先駆者として知られる平塚らいてうが1911年に雑誌の創刊号に寄せた発刊の辞の題名です。原文では、『今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である』と続きます。100年以上前、日本社会のジェンダー面での課題は、家父長制度の下での女性の地位が低いという家族制度の問題、女性が高等教育を受ける機会が少ないという教育制度の問題、女性の能力を活かす職業が乏しいという経済・社会の問題、そして婦人参政権がないという政治制度の問題だったと思います。21世紀となった今、少なくとも「制度」の側面からはこれらは殆どが解決されています。しかしながら、日本社会ではびこっていた妙な「常識」や、それに根差した固定観念が、日本の今日の現状を生んでいる訳です。

 最近、中国新疆ウイグル自治区産の綿花を原料とした衣類が、強制労働によって作られたものではないかとして欧米諸国の貿易制裁や企業による取引停止、消費者の不買運動を呼んでいます。「貿易と労働」の問題は、古くからWTOの中でも議論されてきました。例えば私が米国に留学していた当時、スーパーで売られていたTシャツは1枚数ドルでしたが、タグにはMade in Nicaraguaとありました。その後、やはり児童労働によって不当に安く作られた衣類を売っていいのか、買っていいのか、という問題がマスコミを賑わせました。

 同様な議論は「貿易と環境」でも見られます。環境規制が緩い(あるいはルールの施行が不十分で実態上尻抜けな)国で環境を汚染しながら作られた製品を、安いからと言って輸入して(作らせて)売っていいのか、買っていいのか、という問題です。

 「労働」や「環境」の「公正さ」の実現には、「制度」の果たす役割が大きいのですが、「他者の権利を侵害した」経済活動へは、これからも様々な形で制約が加わっていくでしょう。それは「制度」による制約もあるでしょうが、「制度」が必ずしも馴染まない問題も数多く存在します。そういう場合には、「社会(世界)からのピア・プレッシャー」が一定の役割を果たす場合が多いでしょう。実際に、各種の人権問題で問題と見られる言動を取る会社の製品・サービスを購入しない、という動きはSNS等を通じて様々に広がりを見せつつあります。私はそうした動きを、好むと好まざるを問わず必然のものと考えますが、一方では「文化の違い」というものも、どうしても存在します。例えば、相撲界(あるいは芸能界?)と一般社会の「常識の違い」は、まあ、笑い話で済ませられますが、宗教や民族的風習の違いとなるとかなりのタブー領域です。シビれます。簡単に片付く問題ではありませんね。