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第86回

第86回

 いよいよ五月です。目にも鮮やかな新緑が野山に映え・・・る筈ですが、外出を控えているとそれを実感できません。新型コロナウイルスの感染者・重症者が急増する中で、ワクチン接種についても厳しい状況が続いています。田舎の私の母のところにも、5月中旬に予約受付開始、下旬に接種開始という案内が来たとか。何とかこれが予定どおり進捗することを願っています。

 連休中につらつらと考えたのが、このワクチンの価格と開発コストの関係はどうなっているのだろうということです。普通の製薬プロセスでは、極めて多くの化学物質の中から何段階ものスクリーニングを経て候補を絞ります。また、それを薬として市場に投入するには、ご存じのとおり日本でも海外でも極めて多くの治験データを収集して当局の許認可を受ける必要があります。これに巨額のコストと長い時間を要するのが創薬プロセスである訳ですが(勿論、AIの利用は時間的にもコスト的にもこのプロセスを合理化すると期待されていますが・・・)、ワクチン開発の場合にもほぼ同様だと考えられます。

ワクチンにも数種類の異なるタイプがありますが、いずれにせよ、ワクチン製造業者はビジネスとして開発コストを回収しないと存続できない。一方で、公益的見地からは、当然のことですが「一部の富裕な階層の人々のみがワクチンの恩恵を受けられる」状況は絶対に避けなければなりません。となると、何等かのルール(規制)やそれを実現するための制度的枠組みが必要になってきます。

これが公的資金(政府の研究資金等)を使った開発ならば、既にルールはできています。『日本版バイ・ドール規定』というものがそれで、簡単に言えば、政府の資金を使って研究開発を行った結果としてできた成果(通常は特許権)は、その研究開発を実施した当事者(企業、大学、公的研究機関等)が所有することを認める。ただし「公共の利益」のために必要な場合には、政府がその権利を無償で利用できることとし、国自ら、あるいは誰か適切な事業者に実施させる、というものです。既に政府の研究開発資金には全てこのルールが適用され、国の資金による研究開発の民間企業におけるインセンティブは以前より大幅に向上したと言われています。

このルールができた後、私は経済産業省の研究開発課長という政府資金での研究開発を進める仕事をしていました。いつも企業の方には、「公共の利益」の事例として「例えば、AIDSやエボラ出血熱が日本で大流行して、その特効薬(あるいは予防薬)を国の研究費を使って開発したような場合、その大流行を至急止めなければならないような事態になったら、当該開発を実施した製薬会社等が独占的に特効薬(予防薬)を供給するのでは間に合わない。そういう時は、国が特許の実施権を自ら行使し、他の製薬会社等にも生産委託する等して国民に行きわたるようにするのだ」という説明をしていました。

が、この「召し上げ」規定が実際に発動されたことは私の知る限りありません。また、実際には、薬やワクチンの製造には多くの技術が関係していますので、国の研究費に関する特許のみを他社に開放しても、円滑な製造・供給は簡単ではないでしょう。加えて、その疾病の広がりや流行期間の予測が難しければ、適切な価格設定も難しい、特に貧しい開発途上国にも供給することが必要な場合には尚更です。となると、感染症に関する薬やワクチンの開発に関しては、公平性の確保と民間企業の利益確保という難しい2点の両立を可能とする新たな国際的枠組みが必要なのではないか、と考えた次第です。