このページをシェアする

第77回

第77回

  今週は、今年で10周年を迎える「東日本大震災」と津波による原発事故について書きたいと思います。まず、大震災と津波、その後の避難生活の中でお亡くなりになった方々と、ご家族や親しい方、それに住む家と故郷を失われた方々に謹んで哀悼の意を表します。

  当時、私は経済産業省で鉱物資源課長という職責にあり、日夜、日本経済に必須の金属鉱物資源を求めて苦闘していました。多くの皆さんがご記憶の中国によるレアアース(希土類)の大幅供給削減を受け、豪州、ベトナム、インド、カザフスタン、マラウイ、南ア等の資源国に、企業や資源探査・鉱山開発の専門家を多数擁するJOGMECという独立行政法人の方々と一緒に出かけては、資源開発の権益を日本チームに与えてくれるよう、交渉を重ねていました(現在、豪州で生産され、日本に輸入されているレアアースは当時の苦闘の成果の一部です)。

 レアアースだけでなく、銅・コバルト・タンタル等、アフリカにおける鉱物資源の最大の宝庫と呼べるコンゴ民主共和国(DRC)への出張を週末に控えた金曜日の午後に、地震は起きました。丁度、資源開発の方針に関する会議を役所の外で開催している最中でしたが、あまりの揺れの強さと長さに驚き、急遽、委員長と相談して会議を中止し、東北からご参加の委員の方には現地に至急お戻りいただくべく手配し、建物の外に出てみると、多くの方々が不安そうに道に集まっていました。急いで役所に戻り、情報収集をしてみると、これは只事ではない。TVを見ると、津波が仙台市のかなり内陸部まで押し寄せている、クルマが流され、どんどん海に呑まれていく、・・・おいおい、こんなことが現実に起きるのか、と愕然としたのを覚えています。当然、私の出張もキャンセルです。

 当時の私の仕事は、80%近くは海外との資源開発交渉でしたが、非鉄金属資源の国内での安定供給確保が本来業務ですから、ふと正気に返ると、東日本に集中して幾つか立地している亜鉛の製錬所の状況が気になります。亜鉛は、メッキ鋼板の原料として使われますから、被災者の方々が入られるであろう復興住宅の建設にも必須の物資です。それが供給できないとなると、私の責任です。何とかしなければ。しかし、亜鉛製錬メーカーの本社でも状況は容易には分からない。週明けに、少なくとも今後数ヶ月間操業が再開できそうにないこと、ただし、地震の衝撃と安全確保のためにプラントの操業は停止したこと、従業員の方々には幸いなことに怪我が無かった様子であることだけは確認できました。

 事態は刻々と悪化し、次には自分の課の所掌ではありませんが、灯油・ガソリンの流通網が寸断され、何とかしないとまだ寒い3月の東北で凍死者が出るぞということで、石油関係部署が業界団体に石油配給の応援部隊を出すことになります。私の課からも4名の若者が徴発され、それから数日間、彼らは不眠不休の作業だったそうです。さすがに長期戦の様相を呈し始めた頃にはシフトを組みましたが、数日間は、誰も帰宅しないので若者たちも帰宅できなかったと聞きます。あの時は、土日も一人残らず登庁していましたが、あまりに申し訳ないので、出勤がてら彼らの職場に寄り、わずかばかりの食料等を差し入れました。もっと大量に持って行くべきだったよなあ。スマン、気が利かんで。

 福島第一原発の原子炉建屋の爆発については、私も常時点けっぱなしのTVでしか見ていないのですが、それについては、また次の機会にお話ししたいと思います。