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第75回

第75回

  「技術者倫理」という言葉があります。最近、私が所属している(一社)日本工学アカデミーでも議論になりました。今回はこれを題材にしてみます。

  「技術者倫理」というのは、当然ながら「技術者」という職業(職務)にある人間として果たすべき、あるいは期待されているプロフェッショナリズムのことです。上記の日本工学アカデミーでも、雑談風に「どうも最近、かつての日本の産業界(特に製造業)で誇るべき存在であった技術者倫理が、最近、危機に陥りつつあるのではないか?」という指摘がなされています。

  同趣旨の言葉に「職人気質」とか「職人魂」というものもあります。一言で言えば、「プロとして恥ずかしくない仕事を(仮にその仕事に対する報酬が仕事の内容に見合わないものであったとしても)する」心意気、というように理解されていると思います。

 腑には落ちるのですが、私にとっては、それこそ江戸時代から連綿と続く伝統的な手工業的世界の「職人気質」や「職人魂」が、ほぼそのまま「技術者倫理」という概念に移植されてきたように思えます。善悪や是非の議論とは別として、日本では、「良い職人というのは、ゼニの多寡によらずプロとして立派な仕事をやるものだ」というのが一種の職業倫理として確立され、それが近代の製造業においても似た形で継承されてきた、と思えるのです。

 最近の日本の製造業でまま見られる品質面の問題や、そういう問題の真の所在について関係者間での押し付け合いが発生する様を見ると、確かに「日本が誇る技術者倫理はどこに行ったんだ」という気分になるのは事実です。しかしながら、私は実はそれほど伝統的な「技術者性善説」には立っていません。私の手前勝手な解釈はこうです。

 かつての「職人気質」や「職人魂」は、「職人」の世界が一種の閉鎖的ギルドとして構成されており、手を抜いた、あるいはいい加減な仕事をする職人は、同業者から「あいつは少し銭が渋いと途端に手抜きをしやがる」と蔑まれて、信用を失い、ギルドから爪弾きになるという環境の下で、いわばjob security確保の一つの極意として身に付けられたものだろうと思うのです。

 一方で、「工業製品」の品質は、当然ながら、「設計」「製造」「流通」の各段階で厳しくチェックされるべきものです。ですから、「作るものが複雑になり、多くの部品・材料を色々なベンダーからグローバルに調達して製造し、それを世界の様々なユーザーに届ける」ようになれば、当然ながら個々の関係者(技術者に限りませんが)の「守備範囲」は狭くなり、どこかに落とし穴や手抜きがあれば、それが思わぬ形で大きなトラブルに繋がるのは当然のことです。

 つまり、もし「技術者倫理」の喪失が問題になるのならば、それは、そうした「トラブルの芽を予め予測し、防止する手段を講じ、製造段階で防止できなくとも流通前にチェックして改善する」仕組みを的確に構築できなかった、という問題です。結局は、良く言われる「システム的思考の欠如」に他ならないのです。過去は、確かに「個人(あるいは一部の職能集団)の技術者倫理」によって防げたものが、必然的にそれでは不可能になっているのです。そういう意味で、「組織としての技術者倫理」を見直してみるのは悪いことではないと思えます。